斉藤佳子です。
私には忘れられない『おにぎり』があります。
震災後4日目に女川から避難してきた両親が
持ってきてくれた『おにぎり』です。
水道・電気の復旧の見通しは立たず。
営業している店などありませんでした。
私たちがその時食べていたのは、
家にあった食べ物を少しずつと
1日1度の 配給でいただいたお茶とお菓子とおにぎり。
おにぎりは1日一人1個でした。
8枚切食パン1枚とか。
まだ、頂けるだけありがたかったです。
昼間は避難所から自宅へ戻り
両親をいつでも迎えられるように家の片づけをしていました。
夜は余震と暗闇が怖かったので避難所で…。
4日目 、両親は、女川から私の家まで友人のAさんに
冠水した道を車で送ってもらいました。
その時、Aさんに持たせてもらったのが
『おにぎり』でした。
両親はAさん宅で『おにぎり』を
2つずつ出して頂いたそうです。
二人とも1つ食べたところで
手は止まりました。
もう一つの『おにぎり』は、孫たちに食べさせたい…。
二人の気持ちは一緒でした。
それを見たAさんの奥様は
『大丈夫!孫だぢの分もちゃんとあっから、
あんだら食べていがいん!!』と言って
私たちの為に『おにぎり』を持たせてくれたそうです。
Aさんも6人家族、米はどれだけあっても
足りないはずなのに。
その心遣いには感謝しても足りません。
『おにぎり』を見た息子たちは
すごく喜んでむしゃむしゃと食べました。
『もう1個いい?』
『食べらいん。食べらいん』
こんなにお腹が空いてたんだ…。
気づいてあげられなくてごめんね。
一番不安が大きかったのも、この頃でした。
いつ仕事先から戻るか分からない夫、この先3人でどう生活して行こう…。
そんな時両親が来てくれてどれだけ心強く、勇気づけられたことか。
今でも『おにぎり』を見ると思い出します。
両親に会えた喜びと、 あの時のAさん夫妻の優しさと思いやり
そして『おにぎり』を食べる子どもたちの笑顔を。