2013年3月22日金曜日

落ち着ける場所

こんにちは。クローバーです。

人それぞれ、自分が心底落ち着く、
「ホッ♡」とできる場所ありますよね。
それって見つけるのはなかなか至難な業で・・。 

でもてっとり早く思い浮かぶのは
「実家」、「自分の部屋」、「田舎の誰かのうち」かな。

あたしは以前から「お一人様」が
結構ふつうにできる人間で・・。
映画もお茶も食事(回転寿司や吉野家、焼き肉も!)も。
もちろん誰かと一緒も好きですよ♪ 

そんなあたしは常に
運転中・散歩中にアンテナを張っていて
気になるお店を見かけるとすぐチェック!
雑貨屋さん?美容院?カフェ?まず行ってみます!

そんなあたしが最近見つけた
是非!!おすすめのスポット♡
石巻・牡鹿半島の小さな集落、蛤浜にある
カフェ「Café はまぐり堂」。

築100年の古民家を利用した
何とも風情溢れるカフェです。

蛤浜は、震災によって残ったのはわずか3世帯。
多くの人の力を借りて、再生しつつあります。

震災から2年後の3月11日に
このカフェはオープンしました。

とりあえずは土・日限定で
10時半~17時までのんびり営業とのこと♪ 

美味しいパンとお茶、他にもメニューは様々で、
気に入ったソファーやちゃぶ台、揺り椅子で頂けます♪ 

海・山・風の中で
ゆっくりとした時間の流れを感じてみませんか?

『cafeはまぐり堂』open:10:30~17:00
3月11日~5月まで 土日営業(5月より水曜日を除く毎日)
〒986-2354宮城県石巻市桃浦字蛤浜18
tel 0225-90-2909

2013年3月19日火曜日

改修中

大変ご無沙汰しておりました。
阿部由貴子です。
約半年ぶりの更新です。

今年の3月11日。
仕事はお休みでした。

地震発生時の午後2時46分を
どこでどう迎えようかと思ったところ
答えはひとつ。

うちの店「割烹 滝川」でした。
5分前に車で到着。
ラジオのスイッチをいれ、 1分前に車から出ると
身体は自然に北上川の方を向いていました。
1分間の黙祷。
不思議と頭の中は空っぽでした。

頭を上げ、目を開け思ったこと。
「3年目が始まる」

4mの津波にのまれた「割烹 滝川」は
残った部分を生かしながらただ今改修中。
5月(もしかしたら6月?)の再開を予定しています。

新店舗の模型。玄関部分です。

2013年3月11日月曜日

心の中にひだまりを

はじめまして。クローバーといいます。
これから、ときどきこちらのブログに
参加させていただき、
石巻からの言葉や近況を伝えて行こうと思います。

あの日、忘れもしない3・11。
私は自宅と、隣にあった実家を失いました。  
多くの親戚や、出産間際だった友人、親友の夫も…。

ただ、今だに大声で泣くことができずにいます。
なぜか?
まだ心に蓋をしていて、
それがこれから少しずつ開いていくのだと、
以前カウンセラーの方に言われました。

現在、私たち親子は「みなし仮設」暮らし。
避難所暮らしを1か月半した後、
新入学を控えた息子のことを考えて
ここに越しました。

取り壊し予定だった築70年の借家を、
床だけ新しくしたというところです。
襖には津波の線がくっきり残り、
崩れた砂壁や慣れない汲み取りトイレ・寒い風呂場は
子どもたちを精神的に落ち込ませました。

石巻は、確実に変化はしています。
復活した店や整備された道路、新しく建った家…。
仮設住宅の方も集い合い、
趣味を探したり、働き出したり、
狭くプライバシーの限られた中で
少しでも気持ちを明るくしようと 努めている友人もいます。  

でも、今だに苦しみ続けている方がいるのも事実。
震災のことを「これ以上聞かないで!」という人もいれば、
「話を聞いて! 話すことで落ち着くの。
うん、うんと頷いてくれるだけでいい」 という人も多いです。  

私はというと、
地元には近寄りがたく感じているのが事実です。
仮設住宅に住む人からの、
「地元を離れた人間は贅沢だ」と囁く声が、
私の足を遠のかせているのです。

今日で、震災から丸2年を迎えます。
まだ2年ですが、 随分風化され、
報道も少なくなってしまいました。

先日、私の尊敬するエッセイストさんから
「過去のことは置いてくる!」
という言葉を頂きました。

「今を生きる」ために。

未来を見ると怖くなるし、不安ばかりだから、
とりあえず「今、この時」「今日というこの1日」を
家族全員無事過ごせることで
良しとしよう、と肝に免じ、
ここ石巻で踏ん張ります。

2月6日~3月9日まで
石巻運河沿いの「cafe NOON]で開かれていた
つるし飾り展に、母と行ってきました。
全て手作りで、同じものは1つとしてありません。
一足早く「春」を感じた時間でした。

2013年2月8日金曜日

『まぐれる』

斉藤佳子です。

地方には方言がありますね。

『まぐれる』
 
これも方言です。
さぁ、意味はなんでしょう?

実は、この私もわからず
意味を聞いてしまいました。

聞いた方には
「まだや~どごのお嬢さん!?
女川だったらわがっぺ~。」
(訳:どちらのお嬢さんですか?
  女川出身ならわかるでしょう。)
と言われてしまいました。

さて、『まぐれる』の意味は… …
『汚れる』という意味でした。
全然つながってませんよね(笑)

方言はおもしろい。
こちらが標準語だと思っていた言葉が
方言で
恥ずかしい思いをしたり
地方の方と
方言の話で盛り上がったり。

はたまた
都会では方言がなく寂しいとか!?

さて、
『いづい』
『んだ』
『たごまる』
『すっぱね』
『たっぺ』  
すべて石巻弁です。

さぁ、どんな意味かお考えください!
 
それもまた楽しい。
 
まさに『まぐれでるー。』です(笑)


『いづい』→窮屈な感じ。歯に異物がはさまってる感じ。
(表現がとても難しいです。)
  例:あ~歯にイガはさまって「いづい」なぁ。

『んだ』→会話の中での相槌です。
  例:「斉藤さんってめんこいよね。(かわいい)」「んだ。」

 『たごまる』→衣服などが丸まってるさま。
例:靴の中で靴下「たごまって」いづいなぁ。

 『すっぱね』→雨のあと衣服に付く泥の粒。
例:なんだべ、ズボンに「すっぱね」はねで。
 
『たっぺ』→道路が凍ること。アイスバーン。
例:今日の朝は道路が「たっぺ」であぶねがった。

2013年1月16日水曜日

いろいろな支援のかたち

斉藤佳子です。
石巻には震災後
たくさんのボランティアの方たちが
来てくれました。

泥かきをする人
炊き出しをする人
物資を運ぶ人
本当にこの人たちがいなければ
今の石巻はなかったと思います。

そして今、 支援のかたちは
どのように変わっていっているのでしょう。

普通に生活していたら
「もう、ボランティアの人って いないんでしょ。」
って思ってる人はたくさんいると思います。

たぶん私もボランティアの方と
関わることがなかったら
そんな風に思っていたかもしれません。

私がお世話になっている
ボランティアの方の
お話をします。

その方は震災当初から
石巻でボランティアをしていました。

本業は東京で雑貨屋を経営する
オーナーです。
お店が休みのときは
高速バスで石巻へ来ては
事務、雑用をこなし
また高速バスで東京へ戻るという
生活でした。

その方が最近、
東京の雑貨屋を引っ越すと言って
店じまいをしてしまいました。
なんとその引っ越し先は
『石巻』

話を聞くと
「石巻でお店を開こうと思って。
きっとあまりお店は繁盛しないと思うから
ネット販売とか頑張って
石巻にたくさんの税金を納めるのが目標です!!」

私は目がテンです。
そんな思いを持って
住み慣れた土地を離れる
決意は計り知れません。

私には…できないな。

そんな決意をさせる何かが
石巻にはあるのだろうか…。
もしそうであったのなら すごくうれしい。

私は、Aちゃんが来たら
大歓迎だし、
困ったことがあったら
協力したい。
何でもしてあげたいです。

見えない支援が
いろんなところで
生まれています。
私はそんな人たちを
ずっと応援していきたいです!!
それが私の恩返しだから。
Aちゃんが私たち『O.B.N布さんだる』のロゴを作ってくれました!!
 O.B.N布さんだるイベント情報:わわプロジェクト 
つくることが生きること『神戸 展』http://kobe.wawa.or.jp/
     

2012年12月2日日曜日

変化

うちの子どもたちが胃腸炎でダウンする中
ひとり元気な斉藤佳子です。

皆さんは風邪などひかず元気に
過ごしてますか?

震災から1年と9か月が過ぎようとしています。
そんな中、家族の中で震災後
1番変化があったのは自分だなぁと
思うことがあります。
とくに最近は。

夫さんは
震災前と変わらず ありがたいことに、
同じ仕事をしています。

子どもたちは
学校へ行き勉強をして
遊んで毎日過ごしています。

私といえば…
仕事をしていた実家が流され
仕事をすることがなくなりました。
でも、布さんだるという
ライフワークが出来ました。

そこからいろんな方々と
つながることができ
こうしてブログなんぞを
書かせていただいています。

そして、最近新しい変化が1つ。

近所で再開されるスーパーで
働くことになりました。
これは大きな変化です。

この変化には
当然、震災の影響が大です。
なぜなら震災の影響により
夫さんの給料カットがあるからです。

ぶっちゃけ、かなり厳しいです。

この影響は
私たちだけではなく
周りも同じような状況だと思います。

私の友達は
全壊の家を直し
住み始めました。
もちろん2重ローンです。

そんな人たちが
たくさんいます。
家が残った私たちでさえ
厳しさを味わっているのに
こうして、2重ローンを
抱えてる人たちは
もっともっと厳しい状況にあります。

文句なんて言ってられない
誰のせいでもない。
この苦境を
自分たちで乗り越えていかなければ!!

そんな気持ちが
私を後押ししています。

新しい変化の1歩が
また進み始めました。

外に出れば
きれいな花に出会えることもあります。
それだけで幸せを感じられます。

2012年11月9日金曜日

ぴーちゃん

斉藤佳子です。

今日、何気なしに小学2年生の息子が言いました。
「ぴーちゃんって津波で流されなかったら何歳?」
私:「津波の時は93歳だったから94歳かな。」
息子:「津波なかったら生きてたよね。会いてーなー。」

「ぴーちゃん」とはこちらの方言で
祖祖父、祖祖母のことです。

たまに会話の中に祖母のことが 出てくるのですが、
さすがに今日の会話は
心にじわじわ沁みてくるものがありました。

子が2歳の時、祖母が詠んだ短歌があります。

「ぴーちゃん」と優しく呼び居し二才兒も
この頃逞し兄に倣ひて

私も祖母に会いたいです。

写真は8歳になった息子。さらに逞しくなりました。