2012年6月11日月曜日

母の手紙

阿部由貴子です。

今日はいい天気。
仕事がお休みでよかった。
朝から洗濯機フル回転です。

5月は忙しい月でした。
GWに運動会に遠足。
父の入院退院、震災で亡くなった大叔父大叔母のお葬式。

仕事も忙しく、私は子どもたちの運動会はほとんど見ることができませんでした。
でも母はもちろん、他の学校に通っている友達家族や近所の親戚のおば様たちが応援に駆けつけてくれました。
相方も仕事の合間に、親子競技や地区対抗リレーに参加。
お弁当も母や滝川のスタッフが手分けして作ってくれて、
子どもたちにとっては楽しい運動会だったようです。

5月には母の日もありました。
震災後は今まで以上に母の力を借りているので、
今年はきちんと感謝の気持ちを伝えようと鉢植えを持って実家に行きました。
でもその日に限って、次から次へと訪問者やら電話が鳴り・・・。
私:「これ」渡す。
母:「あ、ありがとう」受けとる。
となんともそっけない母の日に。
でもそんなカンジが私たちっぽいかもしれません。

「昨秋と同じようにチューリップを100球植えました。
プランターを置いていた所はガレキからさら地になり先が見えません。
それでもやっぱり植えました。
今は冬の時。
根をはる時と思い植えました。
春になれば、春になればと。
遠くから心を寄せ、
心配して励ましてくださる方々がいることを本当に心強く思います。
ありがとうございます。」

母が支援をしてくださった方に書いた手紙。
私も母のように感謝の気持ちを忘れない人になろう。

今春、咲いたチューリップたち


























2012年5月18日金曜日

再開の日に

震災から1年一か月が過ぎた4月29日
実家の稼業(八百屋)が店舗として再開しました。

女川町きぼうのかね商店街 あべしん(阿部新)

震災当初は両親も仕事どころではなく
自分たちがこれからどうすればいいのか どうなるのか…
考える余裕さえありませんでした。

私の家に避難してから
『仕事はもうできない。やめるしかない。無理だ。』
もうあきらめの言葉しかありませんでした。
私も再開できるとは思いませんでした。

それから、瓦礫も少しずつなくなり
周りが動き始め、支援の輪が広がり
弟が京都から店を手伝うために帰ってきて。

両親の心もゆっくりと前向きに進み始めました。

再開した店は以前の半分もない広さ。
店に陳列しているものは、
野菜・果物のほかに
ストール・民族楽器・陶器にクッキー。

以前はなかった雑貨たちが並んでいます。

お越しくださるお客様は
『いろんなものがあって楽しい!』
と言って下さいます。

以前とはちょっと違う『あべしん』。

再開をして、今がスタート地点。
これからもずっと『あべしん』を見守り
応援していきたいと思います。

がんばれ!!あべしん!!

2012年5月3日木曜日

卒園 そして 小学校入学

大変ご無沙汰しております。
阿部由貴子です。

ただ今石巻は桜が満開です。

この春息子は小学校一年生になりました。

昨年4月。
たくさんの悲しみの中でスタートした最後の幼稚園生活。
私たち大人はとにかく子どもたちが毎日楽しく過ごすことができるよう、
そのことを最大の目標として1年間を過ごしてきました。

卒園式はどれだけ泣いてしまうだろう・・・。
ずっと思っていました。

が、しかし!!

卒園式数日前にまさかまさかのインフルエンザ発症。
たったひとり卒園式欠席。

私 号泣。
母に先に大泣きされ、息子はすっかり泣くタイミングを逃していました。

でもなんと、先生方が在園児の修了式の日、息子のために卒園式を開いてくださいました。
そして当日にはたくさんのお友だちがお母さんと一緒に駆けつけてくれました。
私 また号泣。
思い出に残る最高の卒園式でした。

4月入学式。
今度は万全の体調で臨みました。
はじめ私はスーツで出席を予定していたのですが、
式の3日前、神からお告げがあったように朝起きると「着物で行こう!」と思ったのです。
そこから用意が始まりました。
母の着物や小物は全てヘドロまみれになったのですが、
奇跡的に私の着物が高台にある自宅にあり着ることが出来ました。

当日はお天気にも恵まれ、無事小学校生活スタート。
まだまだ緊張しているのか、家に帰ってくるとグッタリで夕ご飯前に
一度寝てしまう毎日ですが、
新しいお友だちも出来たようで毎日楽しく通っています!



卒園式のとき、息子が私にくれたお花。
「なぜ青?」と思ったら、 紙を自分たちで好きな色に染めて
それを先生がお花にしたのだそう。

私の好きな色わかっていたんだね。
ありがとう。



2012年4月3日火曜日

一年遅れの修了式~女川町立保育所~

春の日差しが暖かくなって
気分も軽やかなってきました。
斉藤佳子です。

3月末女川町で1年遅れの
『女川町立保育所合同修了式』が行われました。
震災後、ずっと願い続けてきた修了式。
石巻の小学校に通っている次男。
久しぶりに会えた友達、先生。
うれしさと感動と寂しさと…。
一生忘れられない修了式となりました。

震災当日、石巻の自宅にいた私は
女川の保育所に通う次男を
迎えに行くことは出来ませんでした。
(大津波警報の中、海に向かって
車を走らせることは出来ませんでした。
今となればその場を離れなかったことは
お互いにとって良かったことでした。)

「きっと先生方が子供たちを守ってくれる。」
そう信じて。

震災時、保育所へ迎えに行ったお母さんの話では、
雪が舞う園庭に子供たちは
お昼寝の恰好のまま避難していたそうです。

6人位の集団を作り、
1枚の毛布にくるまって。

泣いている子もいたけれど、
年長さんは静かにじっと耐えていたそうです。

何度もくる余震、そして
寒さに、どれだけ不安でいたことでしょう。
今も考えるだけで胸がしめつけられる思いです。

震災で園児、園児の家族、保育士の家族が犠牲になりました。
その中で『修了式をしてあげたい。』と
保育士、保護者の強い希望で
一年遅れの修了式は行われました。

いろいろな思いがつまった修了式。
子どもたちの姿がとても凛々しく
頼もしく感じられました!

『みんなの笑顔は宝物』

2012年3月1日木曜日

働くママは忙しい

こんにちは。
阿部由貴子です。

震災後、私たち家族の生活は一変しました。

今まで母や妹に頼り、子育て中心の生活をしていた私。
しかし震災を機に父と母が引退。
相方が社長に、私が若女将となり、一気に仕事中心の生活が始まりました。

9月にホテルのレストランをお借りして、営業再開してからは
さらに慌しい日々が私を待っていました。
慣れない場所。
慣れない立ち仕事。
あれがない、これがない!
朝から晩まで「これでもかぁーーー!!!」というくらい働きました。

帰りが遅い私に代わり、子どもたちのことは母が一手に引き受けてくれました。
食事の支度にお洗濯。毎日のお弁当作りに学校のお迎え。
震災前は毎日着物を着ていた母。
着物は全てヘドロまみれになり、
今は上下ユニクロで孫たちと奮闘しています。

そんな母はこう言います。
「震災で失ったものは多かったけど、
こうやって孫とゆっくり過ごす生活が待っていたなんてね」と。

仕事を再開した当初、毎日20時になると携帯電話に電話をしてきた子どもたち。
「何時に帰ってくるの?」
「早く帰ってきて!」
何度も何度も電話をかけてきました。
5ヶ月たった今、だいぶ電話の回数も減りました。
『ママは遅くまでお仕事をしているもの』と諦めたのか、
最近は
「20時半に帰ってくるの?ヨッシャー!早いね」と言うようになりました。

私も最近どうにかこの生活にも慣れてきました。
妹と話し合い、私が早番、妹が遅番となり、仕事の分担も出来てきました。
今までの従業員の他に、新たなメンバーも加わり、
少しづつですが気持ちに余裕も出てきました。

たくさんの人たちに支えられているなぁと実感する今日この頃です。


仕事で遅くに帰宅したある日のこと。
お風呂のドアにこんな張り紙が。
おっと危ない!教えてくれてありがとう。

2012年2月22日水曜日

一周忌

斉藤佳子です。

先日、津波で亡くなった祖母の一周忌がありました。
ちょっと早いかな…とも思いましたが、
3月11日に亡くなった方々の数を思えば
一周忌ができただけ良かったかなと思います。

手を合わせて思うこと。
お葬式の時は
『寒かったね、苦しかったね。助けられなくてごめんね。』
そんなことばかり、心で何度も繰り返していました。

一周忌では
『おじいさんと仲良くやってる?喧嘩してない?』

一周忌までの短い時間の中で
少しずつ、心の中が大地震大津波から
解放されていく感じがしています。

思いは人それぞれかもしれません。
まだまだ抜け出せない方はたくさんいると思います。

でも私は祖母の死が無駄にならないよう
前を向いて、笑って、家族仲良く助け合って
これからも祖母の分まで生きていきたいと思いました。

そんな思いを強く感じた一周忌でした。

左の写真は祖父母。
そして、料理好きな私に祖母が買ってくれた本です。

2012年2月8日水曜日

おにぎり

斉藤佳子です。

私には忘れられない『おにぎり』があります。

震災後4日目に女川から避難してきた両親が
持ってきてくれた『おにぎり』です。

水道・電気の復旧の見通しは立たず。
営業している店などありませんでした。

私たちがその時食べていたのは、
家にあった食べ物を少しずつと
1日1度の 配給でいただいたお茶とお菓子とおにぎり。
おにぎりは1日一人1個でした。
8枚切食パン1枚とか。
まだ、頂けるだけありがたかったです。

昼間は避難所から自宅へ戻り
両親をいつでも迎えられるように家の片づけをしていました。
夜は余震と暗闇が怖かったので避難所で…。

4日目 、両親は、女川から私の家まで友人のAさんに
冠水した道を車で送ってもらいました。
その時、Aさんに持たせてもらったのが
『おにぎり』でした。

両親はAさん宅で『おにぎり』を
2つずつ出して頂いたそうです。
二人とも1つ食べたところで
手は止まりました。

もう一つの『おにぎり』は、孫たちに食べさせたい…。
二人の気持ちは一緒でした。

それを見たAさんの奥様は
『大丈夫!孫だぢの分もちゃんとあっから、
あんだら食べていがいん!!』と言って
私たちの為に『おにぎり』を持たせてくれたそうです。
Aさんも6人家族、米はどれだけあっても
足りないはずなのに。
その心遣いには感謝しても足りません。

『おにぎり』を見た息子たちは
すごく喜んでむしゃむしゃと食べました。
『もう1個いい?』
『食べらいん。食べらいん』
こんなにお腹が空いてたんだ…。
気づいてあげられなくてごめんね。

一番不安が大きかったのも、この頃でした。
いつ仕事先から戻るか分からない夫、この先3人でどう生活して行こう…。
そんな時両親が来てくれてどれだけ心強く、勇気づけられたことか。

今でも『おにぎり』を見ると思い出します。
両親に会えた喜びと、 あの時のAさん夫妻の優しさと思いやり
そして『おにぎり』を食べる子どもたちの笑顔を。