2013年4月9日火曜日

空飛ぶ広報室

こんにちは。
ご無沙汰しております、斉藤佳子です。

私は『空飛ぶ広報室』の
著者有川浩さんの本が好きです。
軽快で、それでいて内容が濃く
読み終わった後の満足感がたまりません!

4月14日からは
『空飛ぶ広報室』がドラマ化されます。
楽しみです!

有川さんの著書には
自衛隊のお話がたくさんあり
自衛隊とは何ぞやというのは
有川さんの本で知りました。

『空飛ぶ広報室』も
自衛隊の広報室のお話です。

この本の中に
「あの日の松島」 というお話があります。
あの日とは2011.3.11のことです。

松島基地も東日本大震災で
大きな被害をうけました。
私が知っているのは
津波で飛行機がすべてダメになったこと。
恥ずかしながらそれくらいです。

でもこの本には
あの時の松島基地の本当の話と
自衛隊の方々の本当の気持ちが
描かれています。

当時は自衛隊の方に
本当に助けられました。
でもそれって当たり前のことじゃない?
そんな風に思ってました。

でも本で知ったのは
私たちが食べることができた温かいご飯は
燃料を減らさないために
隊員たちが冷たいご飯を食べていたから。

子どもたちがもらったお菓子は
隊員たちがもらった
他の基地の隊員からの差し入れだったこと。

全国からの支援物資は
被災者に届けるもの。
基本的に自衛隊の方は受け取らなかったそうです。
自分たちも被災者なのに。

本当のことを知ってほしいから
この本をたくさんの人に
読んでほしいなと思いました。

先日ブルーインパルスが
2年ぶりに芦屋基地から
松島基地に帰ってきました!!
また、空にブルーインパルスが描く
ハートが見れるんだなと思うと
今からワクワクします♪

2013年4月6日土曜日

ハーブの力

こんにちは。クローバーです。

今まであたしの飲み物といえば
珈琲かウーロン茶でした。
それがすっかり当たり前になっていて、
頼む時も メニューすらロクに見ずに・・。  

そんなあたしの心を根底から覆したのが
「ハーブティVie特約店 Nally’s Cafe」♥。

震災後にずっと閉まってたので
諦めていたの ですが・・
昨年11月からメニューを限定して再開!!

ハーブティの効果は
美容・リラックス・ その他
自分の選びたいように選べるチェック表みたいなのがあって。
オーナーからのコメントが入ってるので
分かりやすいです♫ 

そ して、手作りのシフォンケーキ♥ 
飲み物とセットで650円です♥  

広すぎない空間と優しい家具、
ハーブティーの香りが
心も身体も癒し てくれます♬ 

何時間でもいられそう・・。
仕切りのある部屋もあるし、
3つのテーブルはそれぞれテイストが違い、
その日の気分で選べます。 

読書し たり、おしゃべりしたり・・。  
こういうカフェが石巻にあること、幸せに思います♬

Nally’s Cafe
石巻市大街道南1-7-40 
TEL&FAX0225-22-6779です

2013年3月22日金曜日

落ち着ける場所

こんにちは。クローバーです。

人それぞれ、自分が心底落ち着く、
「ホッ♡」とできる場所ありますよね。
それって見つけるのはなかなか至難な業で・・。 

でもてっとり早く思い浮かぶのは
「実家」、「自分の部屋」、「田舎の誰かのうち」かな。

あたしは以前から「お一人様」が
結構ふつうにできる人間で・・。
映画もお茶も食事(回転寿司や吉野家、焼き肉も!)も。
もちろん誰かと一緒も好きですよ♪ 

そんなあたしは常に
運転中・散歩中にアンテナを張っていて
気になるお店を見かけるとすぐチェック!
雑貨屋さん?美容院?カフェ?まず行ってみます!

そんなあたしが最近見つけた
是非!!おすすめのスポット♡
石巻・牡鹿半島の小さな集落、蛤浜にある
カフェ「Café はまぐり堂」。

築100年の古民家を利用した
何とも風情溢れるカフェです。

蛤浜は、震災によって残ったのはわずか3世帯。
多くの人の力を借りて、再生しつつあります。

震災から2年後の3月11日に
このカフェはオープンしました。

とりあえずは土・日限定で
10時半~17時までのんびり営業とのこと♪ 

美味しいパンとお茶、他にもメニューは様々で、
気に入ったソファーやちゃぶ台、揺り椅子で頂けます♪ 

海・山・風の中で
ゆっくりとした時間の流れを感じてみませんか?

『cafeはまぐり堂』open:10:30~17:00
3月11日~5月まで 土日営業(5月より水曜日を除く毎日)
〒986-2354宮城県石巻市桃浦字蛤浜18
tel 0225-90-2909

2013年3月19日火曜日

改修中

大変ご無沙汰しておりました。
阿部由貴子です。
約半年ぶりの更新です。

今年の3月11日。
仕事はお休みでした。

地震発生時の午後2時46分を
どこでどう迎えようかと思ったところ
答えはひとつ。

うちの店「割烹 滝川」でした。
5分前に車で到着。
ラジオのスイッチをいれ、 1分前に車から出ると
身体は自然に北上川の方を向いていました。
1分間の黙祷。
不思議と頭の中は空っぽでした。

頭を上げ、目を開け思ったこと。
「3年目が始まる」

4mの津波にのまれた「割烹 滝川」は
残った部分を生かしながらただ今改修中。
5月(もしかしたら6月?)の再開を予定しています。

新店舗の模型。玄関部分です。

2013年3月11日月曜日

心の中にひだまりを

はじめまして。クローバーといいます。
これから、ときどきこちらのブログに
参加させていただき、
石巻からの言葉や近況を伝えて行こうと思います。

あの日、忘れもしない3・11。
私は自宅と、隣にあった実家を失いました。  
多くの親戚や、出産間際だった友人、親友の夫も…。

ただ、今だに大声で泣くことができずにいます。
なぜか?
まだ心に蓋をしていて、
それがこれから少しずつ開いていくのだと、
以前カウンセラーの方に言われました。

現在、私たち親子は「みなし仮設」暮らし。
避難所暮らしを1か月半した後、
新入学を控えた息子のことを考えて
ここに越しました。

取り壊し予定だった築70年の借家を、
床だけ新しくしたというところです。
襖には津波の線がくっきり残り、
崩れた砂壁や慣れない汲み取りトイレ・寒い風呂場は
子どもたちを精神的に落ち込ませました。

石巻は、確実に変化はしています。
復活した店や整備された道路、新しく建った家…。
仮設住宅の方も集い合い、
趣味を探したり、働き出したり、
狭くプライバシーの限られた中で
少しでも気持ちを明るくしようと 努めている友人もいます。  

でも、今だに苦しみ続けている方がいるのも事実。
震災のことを「これ以上聞かないで!」という人もいれば、
「話を聞いて! 話すことで落ち着くの。
うん、うんと頷いてくれるだけでいい」 という人も多いです。  

私はというと、
地元には近寄りがたく感じているのが事実です。
仮設住宅に住む人からの、
「地元を離れた人間は贅沢だ」と囁く声が、
私の足を遠のかせているのです。

今日で、震災から丸2年を迎えます。
まだ2年ですが、 随分風化され、
報道も少なくなってしまいました。

先日、私の尊敬するエッセイストさんから
「過去のことは置いてくる!」
という言葉を頂きました。

「今を生きる」ために。

未来を見ると怖くなるし、不安ばかりだから、
とりあえず「今、この時」「今日というこの1日」を
家族全員無事過ごせることで
良しとしよう、と肝に免じ、
ここ石巻で踏ん張ります。

2月6日~3月9日まで
石巻運河沿いの「cafe NOON]で開かれていた
つるし飾り展に、母と行ってきました。
全て手作りで、同じものは1つとしてありません。
一足早く「春」を感じた時間でした。

2013年2月8日金曜日

『まぐれる』

斉藤佳子です。

地方には方言がありますね。

『まぐれる』
 
これも方言です。
さぁ、意味はなんでしょう?

実は、この私もわからず
意味を聞いてしまいました。

聞いた方には
「まだや~どごのお嬢さん!?
女川だったらわがっぺ~。」
(訳:どちらのお嬢さんですか?
  女川出身ならわかるでしょう。)
と言われてしまいました。

さて、『まぐれる』の意味は… …
『汚れる』という意味でした。
全然つながってませんよね(笑)

方言はおもしろい。
こちらが標準語だと思っていた言葉が
方言で
恥ずかしい思いをしたり
地方の方と
方言の話で盛り上がったり。

はたまた
都会では方言がなく寂しいとか!?

さて、
『いづい』
『んだ』
『たごまる』
『すっぱね』
『たっぺ』  
すべて石巻弁です。

さぁ、どんな意味かお考えください!
 
それもまた楽しい。
 
まさに『まぐれでるー。』です(笑)


『いづい』→窮屈な感じ。歯に異物がはさまってる感じ。
(表現がとても難しいです。)
  例:あ~歯にイガはさまって「いづい」なぁ。

『んだ』→会話の中での相槌です。
  例:「斉藤さんってめんこいよね。(かわいい)」「んだ。」

 『たごまる』→衣服などが丸まってるさま。
例:靴の中で靴下「たごまって」いづいなぁ。

 『すっぱね』→雨のあと衣服に付く泥の粒。
例:なんだべ、ズボンに「すっぱね」はねで。
 
『たっぺ』→道路が凍ること。アイスバーン。
例:今日の朝は道路が「たっぺ」であぶねがった。

2013年1月16日水曜日

いろいろな支援のかたち

斉藤佳子です。
石巻には震災後
たくさんのボランティアの方たちが
来てくれました。

泥かきをする人
炊き出しをする人
物資を運ぶ人
本当にこの人たちがいなければ
今の石巻はなかったと思います。

そして今、 支援のかたちは
どのように変わっていっているのでしょう。

普通に生活していたら
「もう、ボランティアの人って いないんでしょ。」
って思ってる人はたくさんいると思います。

たぶん私もボランティアの方と
関わることがなかったら
そんな風に思っていたかもしれません。

私がお世話になっている
ボランティアの方の
お話をします。

その方は震災当初から
石巻でボランティアをしていました。

本業は東京で雑貨屋を経営する
オーナーです。
お店が休みのときは
高速バスで石巻へ来ては
事務、雑用をこなし
また高速バスで東京へ戻るという
生活でした。

その方が最近、
東京の雑貨屋を引っ越すと言って
店じまいをしてしまいました。
なんとその引っ越し先は
『石巻』

話を聞くと
「石巻でお店を開こうと思って。
きっとあまりお店は繁盛しないと思うから
ネット販売とか頑張って
石巻にたくさんの税金を納めるのが目標です!!」

私は目がテンです。
そんな思いを持って
住み慣れた土地を離れる
決意は計り知れません。

私には…できないな。

そんな決意をさせる何かが
石巻にはあるのだろうか…。
もしそうであったのなら すごくうれしい。

私は、Aちゃんが来たら
大歓迎だし、
困ったことがあったら
協力したい。
何でもしてあげたいです。

見えない支援が
いろんなところで
生まれています。
私はそんな人たちを
ずっと応援していきたいです!!
それが私の恩返しだから。
Aちゃんが私たち『O.B.N布さんだる』のロゴを作ってくれました!!
 O.B.N布さんだるイベント情報:わわプロジェクト 
つくることが生きること『神戸 展』http://kobe.wawa.or.jp/