2012年12月2日日曜日

変化

うちの子どもたちが胃腸炎でダウンする中
ひとり元気な斉藤佳子です。

皆さんは風邪などひかず元気に
過ごしてますか?

震災から1年と9か月が過ぎようとしています。
そんな中、家族の中で震災後
1番変化があったのは自分だなぁと
思うことがあります。
とくに最近は。

夫さんは
震災前と変わらず ありがたいことに、
同じ仕事をしています。

子どもたちは
学校へ行き勉強をして
遊んで毎日過ごしています。

私といえば…
仕事をしていた実家が流され
仕事をすることがなくなりました。
でも、布さんだるという
ライフワークが出来ました。

そこからいろんな方々と
つながることができ
こうしてブログなんぞを
書かせていただいています。

そして、最近新しい変化が1つ。

近所で再開されるスーパーで
働くことになりました。
これは大きな変化です。

この変化には
当然、震災の影響が大です。
なぜなら震災の影響により
夫さんの給料カットがあるからです。

ぶっちゃけ、かなり厳しいです。

この影響は
私たちだけではなく
周りも同じような状況だと思います。

私の友達は
全壊の家を直し
住み始めました。
もちろん2重ローンです。

そんな人たちが
たくさんいます。
家が残った私たちでさえ
厳しさを味わっているのに
こうして、2重ローンを
抱えてる人たちは
もっともっと厳しい状況にあります。

文句なんて言ってられない
誰のせいでもない。
この苦境を
自分たちで乗り越えていかなければ!!

そんな気持ちが
私を後押ししています。

新しい変化の1歩が
また進み始めました。

外に出れば
きれいな花に出会えることもあります。
それだけで幸せを感じられます。

2012年11月9日金曜日

ぴーちゃん

斉藤佳子です。

今日、何気なしに小学2年生の息子が言いました。
「ぴーちゃんって津波で流されなかったら何歳?」
私:「津波の時は93歳だったから94歳かな。」
息子:「津波なかったら生きてたよね。会いてーなー。」

「ぴーちゃん」とはこちらの方言で
祖祖父、祖祖母のことです。

たまに会話の中に祖母のことが 出てくるのですが、
さすがに今日の会話は
心にじわじわ沁みてくるものがありました。

子が2歳の時、祖母が詠んだ短歌があります。

「ぴーちゃん」と優しく呼び居し二才兒も
この頃逞し兄に倣ひて

私も祖母に会いたいです。

写真は8歳になった息子。さらに逞しくなりました。

2012年10月26日金曜日

布さんだる*11月のイベント

こんにちは。斉藤佳子です。

11月のイベント三連発です!!
お近くの方はぜひぜひお越しくださいませ。

【東日本大震災復興支援「つくることが生きること」新潟ワークバザール2012】
11月3日(土)~18日(日)
会場:新潟市の上古町商店街(上古町商店街振興組合)
http://niigata.wawa.or.jp/

【2012東北大学祭 東日本大震災復興フェア】
11月2日(金)~4日(日)
会場:東北大学川内キャンパス厚生会館及びデッキ(宮城県仙台市)
http://www.festa-tohoku.org/index.html

【くるんで】
11月10日(土)~11日(日)
会場:宮城県石巻市
Berry's Kitchen http://pontic.net/?eid=26

11月はどこもイベント盛りだくさんですよね。
まだまだ、震災を忘れず
助けてくれる方たちがいることに 本当に感謝です。

2012年10月5日金曜日

実りの秋

こんにちは。斉藤佳子です。

あの暑さから一転して
ようやく秋の気配が
感じられるようになった石巻です。

いつものようにお隣の女川町では
『さんま祭り』が開催され、
福島・いわき市の実家からは
『豊水梨』が送られてきました。

脂がのったさんまと、酸味と甘さが絶妙な梨と。

これらも、あの暑さを乗り切って
私のもとへやって来たんですよね。

私もこの夏は少しは成長したかな。
夏の集大成が秋、冬に発揮されるんだ!
そう思うとこれからの自分に
ワクワクドキドキしてしまいます。

ということは… 私に脂か酸味か甘さ、
どれかがのってるはずですよね。
どうか脂じゃありませんように(笑)

4年前に購入したオリーブの木に、
初めて実がつきました。

2012年9月28日金曜日

布さんだる

こんにちは。 斉藤佳子です。

以前のブログでも紹介させていただきましたが、
私は1年前から友人2人と
布さんだる(私たちが作る布ぞうりをこのように呼んでいます。)を
製作しています。

この活動も9月23日で
1周年を迎えることとなりました。

1年間続けてこられたのは、
周りの方の協力と、応援してくれる
みんながいてくれたからです。
『感謝』 この一言に尽きます。

今年の始まりは
5月に石巻で行われた
『いしのまきクラフトフェア』からでした。

このイベントは石巻を元気にするべく、
モノづくりをされている石巻在住、出身の
名のある 方々の企画、販売でした。

ご縁があり、私たち『O.B.N』(活動名)も
参加させていただくことになりました。

このイベントへ参加することで
新聞折り込み冊子へ紹介していただき、
さらに仙台中心部で販売を していただけることになりました。

そして、インターネットでの販売。
(NPOから支援で販売しています。『応援最中』)

今年の夏は布さんだる一色でした。
購入していただいた方から
「これではダメだ!!」 とダメ出しをされたこともありました。

これも勉強!と気持ちを入れ替え
3人で協力してきました。

頑張ってる姿を見ている人はいないけれど
頑張ったことはきっと認められる。
そう信じてこれまで活動してきました。

まだまだ布さんだる作りは終わりません。
11月には大学の学園祭、
石巻でのイベントへ参加します。

いつの日か、 このブログをご覧いただいてる方々にも
布さんだるを手に取ってもらえる日が
来ることを楽しみにして
これからも布さんだるを
作り続けていきたいと思います。


いしのまきクラフトフェア http://ishi-cra.jugem.jp/
応援最中 http://www.oenmonaka.org/obn-shop/
O.B.N http://o-b-n.jugem.jp/

2012年8月20日月曜日

夏祭り

昨年に引き続き、被災地の小学生に夏休みの思い出づくりにと、
いろいろな団体が様々なプログラムを用意してくださいました。
長女の友だちも、北海道に行ったり、東京ディズニーランドに行ったり!

我が家の長女(小4)は仲良しのお友だちと8月14・15日と
群馬県太田市尾島のねぷた祭りに参加しました。
最初はお祭りを見学するだけだと思っていたら、
山車を巡行する列に参加とのこと。
係の方が2度も石巻に来て、
「ねぷたばやし」を指導してくださいました。

当日は石巻を8時半に出発。
2時頃太田市に到着して、お囃子の準備。
5時半から9時近くまでお祭りに参加となかなかのハードスケジュール。
群馬の暑さは、石巻とは比べものにならないと聞かされ、
少し不安な気持ちで送り出しました。

1泊2日はあっという間!
1時間遅れて、20時到着。
係の方が一番初めに「子どもたちとても立派でした!」
と声をかけてくださいました。

家に帰るの車の中では興奮気味の長女、話が止まりません。
バスの中で、ゲームや歌を歌ったこと。
市長訪問したこと。
お囃子のお姉さん(30歳くらい?)がとってもカッコよかったこと。
そのお姉さんとお友だちになったこと。
次の日、こどもの国(総合公園)で遊んだこと。

お祭りでは途中、具合が悪くなり見学になってしまったそう。
はじめはお囃子に参加するのは恥ずかしく、
行く前は「イヤだなぁ・・・。」と言っていましたが、
最後まで出来ず悔しかったそうです。

お囃子に参加していたときのこと。
おばあさんに肩をポンポンと叩かれ、
「がんばりなさいね」と優しく声をかけられたそうです。
「私ひとりに声をかけてくれたんだよ!」ととても嬉しそうに話してくれました。

招待して下さったNPO法人「生きる塾」他イベントに関わってくださった
全ての方々に感謝します。

石巻最大の夏祭り、「石巻川開き祭り」
7月31日8月1日と行われました。




2年ぶりに復活した小学校の鼓笛隊。

 
 


鎮魂と復興を願う花火。
昨年は全壊した友人の家の土台の上でBBQをしながら見ました。
今年はまだ改装していないうちの店の2階でブルーシートを敷いてみました。
来年はどこで花火を見るのだろう。
 






2012年6月11日月曜日

母の手紙

阿部由貴子です。

今日はいい天気。
仕事がお休みでよかった。
朝から洗濯機フル回転です。

5月は忙しい月でした。
GWに運動会に遠足。
父の入院退院、震災で亡くなった大叔父大叔母のお葬式。

仕事も忙しく、私は子どもたちの運動会はほとんど見ることができませんでした。
でも母はもちろん、他の学校に通っている友達家族や近所の親戚のおば様たちが応援に駆けつけてくれました。
相方も仕事の合間に、親子競技や地区対抗リレーに参加。
お弁当も母や滝川のスタッフが手分けして作ってくれて、
子どもたちにとっては楽しい運動会だったようです。

5月には母の日もありました。
震災後は今まで以上に母の力を借りているので、
今年はきちんと感謝の気持ちを伝えようと鉢植えを持って実家に行きました。
でもその日に限って、次から次へと訪問者やら電話が鳴り・・・。
私:「これ」渡す。
母:「あ、ありがとう」受けとる。
となんともそっけない母の日に。
でもそんなカンジが私たちっぽいかもしれません。

「昨秋と同じようにチューリップを100球植えました。
プランターを置いていた所はガレキからさら地になり先が見えません。
それでもやっぱり植えました。
今は冬の時。
根をはる時と思い植えました。
春になれば、春になればと。
遠くから心を寄せ、
心配して励ましてくださる方々がいることを本当に心強く思います。
ありがとうございます。」

母が支援をしてくださった方に書いた手紙。
私も母のように感謝の気持ちを忘れない人になろう。

今春、咲いたチューリップたち


























2012年5月18日金曜日

再開の日に

震災から1年一か月が過ぎた4月29日
実家の稼業(八百屋)が店舗として再開しました。

女川町きぼうのかね商店街 あべしん(阿部新)

震災当初は両親も仕事どころではなく
自分たちがこれからどうすればいいのか どうなるのか…
考える余裕さえありませんでした。

私の家に避難してから
『仕事はもうできない。やめるしかない。無理だ。』
もうあきらめの言葉しかありませんでした。
私も再開できるとは思いませんでした。

それから、瓦礫も少しずつなくなり
周りが動き始め、支援の輪が広がり
弟が京都から店を手伝うために帰ってきて。

両親の心もゆっくりと前向きに進み始めました。

再開した店は以前の半分もない広さ。
店に陳列しているものは、
野菜・果物のほかに
ストール・民族楽器・陶器にクッキー。

以前はなかった雑貨たちが並んでいます。

お越しくださるお客様は
『いろんなものがあって楽しい!』
と言って下さいます。

以前とはちょっと違う『あべしん』。

再開をして、今がスタート地点。
これからもずっと『あべしん』を見守り
応援していきたいと思います。

がんばれ!!あべしん!!

2012年5月3日木曜日

卒園 そして 小学校入学

大変ご無沙汰しております。
阿部由貴子です。

ただ今石巻は桜が満開です。

この春息子は小学校一年生になりました。

昨年4月。
たくさんの悲しみの中でスタートした最後の幼稚園生活。
私たち大人はとにかく子どもたちが毎日楽しく過ごすことができるよう、
そのことを最大の目標として1年間を過ごしてきました。

卒園式はどれだけ泣いてしまうだろう・・・。
ずっと思っていました。

が、しかし!!

卒園式数日前にまさかまさかのインフルエンザ発症。
たったひとり卒園式欠席。

私 号泣。
母に先に大泣きされ、息子はすっかり泣くタイミングを逃していました。

でもなんと、先生方が在園児の修了式の日、息子のために卒園式を開いてくださいました。
そして当日にはたくさんのお友だちがお母さんと一緒に駆けつけてくれました。
私 また号泣。
思い出に残る最高の卒園式でした。

4月入学式。
今度は万全の体調で臨みました。
はじめ私はスーツで出席を予定していたのですが、
式の3日前、神からお告げがあったように朝起きると「着物で行こう!」と思ったのです。
そこから用意が始まりました。
母の着物や小物は全てヘドロまみれになったのですが、
奇跡的に私の着物が高台にある自宅にあり着ることが出来ました。

当日はお天気にも恵まれ、無事小学校生活スタート。
まだまだ緊張しているのか、家に帰ってくるとグッタリで夕ご飯前に
一度寝てしまう毎日ですが、
新しいお友だちも出来たようで毎日楽しく通っています!



卒園式のとき、息子が私にくれたお花。
「なぜ青?」と思ったら、 紙を自分たちで好きな色に染めて
それを先生がお花にしたのだそう。

私の好きな色わかっていたんだね。
ありがとう。



2012年4月3日火曜日

一年遅れの修了式~女川町立保育所~

春の日差しが暖かくなって
気分も軽やかなってきました。
斉藤佳子です。

3月末女川町で1年遅れの
『女川町立保育所合同修了式』が行われました。
震災後、ずっと願い続けてきた修了式。
石巻の小学校に通っている次男。
久しぶりに会えた友達、先生。
うれしさと感動と寂しさと…。
一生忘れられない修了式となりました。

震災当日、石巻の自宅にいた私は
女川の保育所に通う次男を
迎えに行くことは出来ませんでした。
(大津波警報の中、海に向かって
車を走らせることは出来ませんでした。
今となればその場を離れなかったことは
お互いにとって良かったことでした。)

「きっと先生方が子供たちを守ってくれる。」
そう信じて。

震災時、保育所へ迎えに行ったお母さんの話では、
雪が舞う園庭に子供たちは
お昼寝の恰好のまま避難していたそうです。

6人位の集団を作り、
1枚の毛布にくるまって。

泣いている子もいたけれど、
年長さんは静かにじっと耐えていたそうです。

何度もくる余震、そして
寒さに、どれだけ不安でいたことでしょう。
今も考えるだけで胸がしめつけられる思いです。

震災で園児、園児の家族、保育士の家族が犠牲になりました。
その中で『修了式をしてあげたい。』と
保育士、保護者の強い希望で
一年遅れの修了式は行われました。

いろいろな思いがつまった修了式。
子どもたちの姿がとても凛々しく
頼もしく感じられました!

『みんなの笑顔は宝物』

2012年3月1日木曜日

働くママは忙しい

こんにちは。
阿部由貴子です。

震災後、私たち家族の生活は一変しました。

今まで母や妹に頼り、子育て中心の生活をしていた私。
しかし震災を機に父と母が引退。
相方が社長に、私が若女将となり、一気に仕事中心の生活が始まりました。

9月にホテルのレストランをお借りして、営業再開してからは
さらに慌しい日々が私を待っていました。
慣れない場所。
慣れない立ち仕事。
あれがない、これがない!
朝から晩まで「これでもかぁーーー!!!」というくらい働きました。

帰りが遅い私に代わり、子どもたちのことは母が一手に引き受けてくれました。
食事の支度にお洗濯。毎日のお弁当作りに学校のお迎え。
震災前は毎日着物を着ていた母。
着物は全てヘドロまみれになり、
今は上下ユニクロで孫たちと奮闘しています。

そんな母はこう言います。
「震災で失ったものは多かったけど、
こうやって孫とゆっくり過ごす生活が待っていたなんてね」と。

仕事を再開した当初、毎日20時になると携帯電話に電話をしてきた子どもたち。
「何時に帰ってくるの?」
「早く帰ってきて!」
何度も何度も電話をかけてきました。
5ヶ月たった今、だいぶ電話の回数も減りました。
『ママは遅くまでお仕事をしているもの』と諦めたのか、
最近は
「20時半に帰ってくるの?ヨッシャー!早いね」と言うようになりました。

私も最近どうにかこの生活にも慣れてきました。
妹と話し合い、私が早番、妹が遅番となり、仕事の分担も出来てきました。
今までの従業員の他に、新たなメンバーも加わり、
少しづつですが気持ちに余裕も出てきました。

たくさんの人たちに支えられているなぁと実感する今日この頃です。


仕事で遅くに帰宅したある日のこと。
お風呂のドアにこんな張り紙が。
おっと危ない!教えてくれてありがとう。

2012年2月22日水曜日

一周忌

斉藤佳子です。

先日、津波で亡くなった祖母の一周忌がありました。
ちょっと早いかな…とも思いましたが、
3月11日に亡くなった方々の数を思えば
一周忌ができただけ良かったかなと思います。

手を合わせて思うこと。
お葬式の時は
『寒かったね、苦しかったね。助けられなくてごめんね。』
そんなことばかり、心で何度も繰り返していました。

一周忌では
『おじいさんと仲良くやってる?喧嘩してない?』

一周忌までの短い時間の中で
少しずつ、心の中が大地震大津波から
解放されていく感じがしています。

思いは人それぞれかもしれません。
まだまだ抜け出せない方はたくさんいると思います。

でも私は祖母の死が無駄にならないよう
前を向いて、笑って、家族仲良く助け合って
これからも祖母の分まで生きていきたいと思いました。

そんな思いを強く感じた一周忌でした。

左の写真は祖父母。
そして、料理好きな私に祖母が買ってくれた本です。

2012年2月8日水曜日

おにぎり

斉藤佳子です。

私には忘れられない『おにぎり』があります。

震災後4日目に女川から避難してきた両親が
持ってきてくれた『おにぎり』です。

水道・電気の復旧の見通しは立たず。
営業している店などありませんでした。

私たちがその時食べていたのは、
家にあった食べ物を少しずつと
1日1度の 配給でいただいたお茶とお菓子とおにぎり。
おにぎりは1日一人1個でした。
8枚切食パン1枚とか。
まだ、頂けるだけありがたかったです。

昼間は避難所から自宅へ戻り
両親をいつでも迎えられるように家の片づけをしていました。
夜は余震と暗闇が怖かったので避難所で…。

4日目 、両親は、女川から私の家まで友人のAさんに
冠水した道を車で送ってもらいました。
その時、Aさんに持たせてもらったのが
『おにぎり』でした。

両親はAさん宅で『おにぎり』を
2つずつ出して頂いたそうです。
二人とも1つ食べたところで
手は止まりました。

もう一つの『おにぎり』は、孫たちに食べさせたい…。
二人の気持ちは一緒でした。

それを見たAさんの奥様は
『大丈夫!孫だぢの分もちゃんとあっから、
あんだら食べていがいん!!』と言って
私たちの為に『おにぎり』を持たせてくれたそうです。
Aさんも6人家族、米はどれだけあっても
足りないはずなのに。
その心遣いには感謝しても足りません。

『おにぎり』を見た息子たちは
すごく喜んでむしゃむしゃと食べました。
『もう1個いい?』
『食べらいん。食べらいん』
こんなにお腹が空いてたんだ…。
気づいてあげられなくてごめんね。

一番不安が大きかったのも、この頃でした。
いつ仕事先から戻るか分からない夫、この先3人でどう生活して行こう…。
そんな時両親が来てくれてどれだけ心強く、勇気づけられたことか。

今でも『おにぎり』を見ると思い出します。
両親に会えた喜びと、 あの時のAさん夫妻の優しさと思いやり
そして『おにぎり』を食べる子どもたちの笑顔を。


2012年1月30日月曜日

苺ショート


こんにちは。阿部由貴子です。

身体が疲れていたり、気持ちが落ち込んだり。
そんな時に食べたくなるもの。
それは
「生クリーム」。

震災から1~2カ月たった頃、食べたくなりました・・・。
でもそんなこと、とても言える状況ではありません。
市内のケーキ屋さんはほとんど被災。
コンビニもスーパーもまだまだ品薄状態が続き、
学校や公民館などにはまだまだたくさんの方々が避難生活を送っていました。
何より「ケーキを食べたい」なんてそんな贅沢、口に出していいのかどうか、心の葛藤もありました。

そんなある日、仙台に住む従兄から叔父叔母と一緒にこちらに来ると連絡がありました。

「ゆきちゃん、ほしいものがあったら何でも言って!」
その言葉に、どうしようかと悩みながらも
「ここは甘えてもいいよね。この3人なら私のわがまま、きっと許してくれるよね。」

思い切って言いました。
「生クリーム。生クリームのケーキが食べたい」

次の日、3人は大きな箱を抱えて我が家にやってきました。
ふたを開けると・・・
眩しかったぁ!
まさに宝石箱でした。
従兄の奥さんが朝一で買ってきてくれたケーキの中で私が選んだのは「苺ショート」
白い生クリームの上に真っ赤な苺。
あの時の味、忘れられない。

美味しいモノは人を幸せにします。


いつか食べたいと思っていた
TOPS季節限定 苺のショートケーキ
念願叶ってついに食べることができました。
(写真うまく撮れず反省・・・)
また苺の美味しい季節がやってきます。

2012年1月27日金曜日

ライフワーク

斉藤佳子です。

震災後、新しく始めたこと。

布ぞうり作り。

去年の6月に女川の知人に
「布ぞうり作ってみない?」
と声をかけてもらいました。

編み板は作ってもらっていたのですが、
初めは何をどうやってどうすればいいのか
まったくと言っていいほど分かりませんでした。

古着を使って作るんですけど、
どんな生地を使うか、どうやって裁つか…。

本を買って、ネットで調べて、
試行錯誤の日々が始まりました。

始めは何も考えず黙々と作っていました。

でも、これでいいのかな?
と疑問が湧いてきて。

それから、友達3人で
あ~でもない、こ~でもないと
出来上がったのが
『布さんだる』
という型の布ぞうり。

去年は『布さんだる』を皆さんに知ってもらうために
マルシェに参加したり、手作り市に出店してみたり
少しずつ活動してきました。

今年もゆっくり、自分たちのペースで
続けていきたいと思っています。

たくさんの人たちに支えられ励まされ、
『感謝』
を忘れず今年も前を向いて歩いて行こうと思います。



*布さんだる『O.B.N』http://o-b-n.jugem.jp/

2012年1月19日木曜日

音楽の力

阿部由貴子です。

皆さんはどんな音楽をよく聴かれますか?

私は子どもたちの影響で、嵐やAKBをよく聴いています。

震災当時、ずっとラジオを聞いていました。
「荒浜で何百という遺体が・・・」「女川壊滅的状況」「福島原発が・・・」
などという言葉が繰り返し流れていましたが、
全く理解できず、ただただボーっと聞いていました。

何日かたったある日、
震災後初めて音楽が流れてきました。
たしかコブクロだったと思います。
その時の衝撃は大きかった。
次に流れてきたのが、忘れもしない。
ドリカムの「何度でも」でした。

何度でも何度でも何度でも立ち上がり呼ぶよ

10000回だめでへとへとになっても10001回目は何か変わるかもしれない

大声で歌いながら泣いている私がいました。

年末の紅白。
猪苗代湖ズの「I love you & I need you ふくしま」
ユーミンの「春よ来い」
そして長渕剛の「ひとつ」
中継先の門脇小学校の校庭は
娘と息子が幼稚園の運動会をしていた場所。

震災後、勇気づけられた曲、心に残る曲がみんなにできたはず。
音楽の力は大きい。


昨年秋の小学校の学芸会。
三年生のテーマは「心をひとつに」
出し物は北原白秋「お祭り」の郡読と、
よさこいソーラン「よっちょれ」の踊りと「ぶちあわせ太鼓」
娘は〆太鼓と呼ばれる下打ち太鼓のリーダーを任された。
ただひとり、最初から最後まで太鼓を叩き続ける娘をみて涙が止まらなかった
これも音楽の力

 

2012年1月16日月曜日

幸せの食卓

お正月ボケからなかなか抜け出せずにいる斉藤佳子です。
皆さんはどんな年始年末を過ごしましたか?

今までの私の年末はただただ忙しかった…。

今回初めて年末に夫さんの実家に帰省しました。

実家が八百屋なので、年の瀬は稼ぎ時!
お歳暮、お正月準備用の野菜や食料品の販売と配達。
女川は高齢者が多いので、ほぼ配達。

31日になれば実家のお正月の準備。

ほとんど母が支度するんですけど…。

商売人は年越しが大事ということもあり、
かなり豪勢な年越し料理でした。

尾頭付きのキンキ、アワビ・甘エビ・カキ・ナマコ…。
海産物のオンパレード!!
テーブルに並べられないくらいです。

それが当たり前だったんです。
今思えばとても贅沢でした。

去年の年末はは尾頭付きもなければ、
アワビもエビもナマコもなかったけど…。

母と一緒に準備している時間や、
両親と弟とみんなで小さなテーブルを囲めたことが、
私には何より大切で幸せな時間でした。

母とするお雑煮の準備も、
場所は変わったけれどしていることは毎年同じこと。

今まで当たり前と思っていた時間を過ごすことが、
今ではとても幸せと思えるのです。

年末のテーブルです。

2012年1月12日木曜日

今年の目標

阿部由貴子です。

今朝カーテンを開けると、目が覚めるような雪景色でした。

皆さん、年末年始はどのように過ごされましたか?

わが家は29日に息子がインフルエンザに。
大晦日には、相方の耳と眼が炎症を起こし、救急病院へ。
息子は軽くすみましたが、
相方は、新年も抗生物質の点滴に毎日通いました。
きっと、今までの疲れがいっぺんに出たのでしょう。
おかげさまで徐々に体調は回復に向かい、
5日には、皆元気で仕事始めを迎えることができました。

ここで私の今年の目標を。
「無理をしない」

震災後、とにかく前だけを見て突っ走ってきました。
年が明けた今、ちょっと速度を落とし、周りや足元を見て行こうと思いました。
心に余裕を持って、大切なものを見失わないように。

あの日から10ヶ月目の日に思う。


店が再開してから仕事中心の生活になり、
子どもたちのことは母に任せきりになっていました。
いつもより1日多くとったお正月休みには
子どもたちとの時間を大切にしました。
家族4人で泊まった松島のホテルの部屋からの景色。