2011年12月8日木曜日

あの日から…

こんにちは。初めまして。

宮城県牡鹿郡女川町出身、石巻市在住の主婦,
斎藤佳子です。
夫と息子2人(小学4年と1年)の4人家族です。
女川町の実家は跡形もなくなりましたが、
自宅は無事でした。

あの日、私は自宅で大きな揺れに遭いました。
ダイニングテーブルの下で
「あ~このまま死んじゃうんだ…」
と思うほどの強い揺れでした。

小学校3年生だった長男を迎えに行き避難所へ。
次男は女川町の保育所へ通っていたので
先生たちを信じて、
その日は長男と中学校の教室で一夜を明かしました。

あの日の夜は雪が降って、忘れられないくらい綺麗な星空でした。

明け方ラジオで『女川町壊滅!』の情報が流れ…。
次男と両親、祖母の安否が頭の中でグルグル渦を巻いていました。

奇跡的に次男の保育所は残り、そこで両親の無事も確認しました。
でも誰も祖母のことは口にはしませんでした。

あの日から4日目、両親が私たちの家に来ました。
そして、祖母が津波で流された事実を知りました。

母はずっと祖母を置き去りにしてきた
罪悪感と戦っていました(祖母が自分で残ると言ったのですが)。
92歳だった祖母は、歩いて逃げることさえ出来なかったと思います。
もし、一緒に逃げていたら父も母も祖母と一緒に津波に流されていたと思います。

「私が○○してれば、助かったのに…」
母のような人たちはたくさんいると思います。

今は「祖母がみんなを守ってくれたんだ。ありがとう」
そう思いながら今を精一杯生きています。

電気が点くまで10日。
水道が出るまで25日。

私たちはまだまだいい方。
もっと大変な人たちがいる。
そんな思いで、今も生活しています。


去年、海水浴をした牡鹿半島の海です。
今ではこのきれいな海もなくなってしまいました。

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